翻訳と辞書
Words near each other
・ ブローカ野
・ ブローカ領野
・ ブローガス
・ ブローガンファイター
・ ブローク
・ ブロークダウン・パレス
・ ブロークバックマウンテン
・ ブロークバック・マウンテン
・ ブロークン
・ ブロークンアロー
ブロークンアロー (オクラホマ州)
・ ブロークンイングリッシュ
・ ブロークンウィンドウ理論
・ ブロークンシティ
・ ブロークンハート
・ ブロークンバー
・ ブロークンヒル
・ ブロークン・アロー
・ ブロークン・イングリッシュ
・ ブロークン・ウィンドウ理論


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ブロークンアロー (オクラホマ州) : ミニ英和和英辞書
ブロークンアロー (オクラホマ州)[ぶろー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブロー : [ぶろー]
 【名詞】 1. blow 2. (n) blow
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
オクラホマ : [おくらほま]
 【名詞】 1. Oklahoma 2. (n) Oklahoma
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ブロークンアロー (オクラホマ州) : ウィキペディア日本語版
ブロークンアロー (オクラホマ州)[ぶろー]

ブロークンアロー()は、アメリカ合衆国オクラホマ州の東北部タルサ郡の都市である。大部分がタルサ郡に入っているが、小部分はワゴナー郡西部に属している。タルサ市の最大郊外市である。2000年国勢調査による人口は74,859 人、2010年では98,850人と32%増加しており、州内で4番目に人口の多い都市である〔State & County QuickFacts, Gulfport, Mississippi , 2011-12-24閲覧〕。
ブロークンアローの町の区画は1902年にミズーリ・カンザス・アンド・テキサス鉄道によって売却され、この鉄道会社の秘書であるウィリアム・S・フィアズによってブロークンアローと名付けられた〔History of Broken Arrow , Cities and Towns of Tulsa County (accessed February 10, 2010).〕。その謂われは涙の道を通ってアラバマ州からオクラホマにやってきたクリーク族インディアンが定着した集落に因むものだった〔Our History , City of Broken Arrow (accessed February 10, 2010).〕。
ブロークンアローは当初農業社会だったが、現在は多様な経済となっている。州内では3番目に製造業が集中した都市となっている。
== 歴史 ==
ブロークンアローという名前はアラバマ州にあったクリーク族インディアンの古い集落から来ている〔。涙の道を辿ってオクラホマに来たクリーク族員が新しい定住地に入ったとき、アラバマ州の昔の集落名をそこに付けた。クリーク語の名前は"Rekackv"(スリー・カウチ・クーと発音された)であり、「折れた矢」を意味した。この新しい定住地は現在のブロークンアロー中心街の南数マイルの位置にあった。
それから数十年後、ミズーリ・カンザス・アンド・テキサス鉄道がこの地域を抜ける鉄道を建設した〔History of Broken Arrow , Cities and Towns of Tulsa County (accessed February 10, 2010).〕。この会社は経路に沿った土地に町を建設する特権を与えられていた。彼等は1902年にアーカンザス・バレー・タウンサイト社にまだ土地の名もない場所のうち3か所を売却した。鉄道会社の秘書であるウィリアム・S・フィアズがその場所の1つを選んで名付けることを許された。彼はタルサの南東約18マイル (29 km)、クリーク族の定住地スリー・カウチ・クーからは約5マイル (8 km) 北の地を選んで、その新しい町をブロークンアローと名付けた。ブロークンアロー市の中央を通るミズーリ・カンザス・アンド・テキサス鉄道線は現在も残っており、ユニオン・パシフィック鉄道が所有して貨物輸送に使っている。
ブロークンアローの歴史で初めの数十年間、その経済は主に農業に基づいていた〔Wise, Donald A. Broken Arrow , Encyclopedia of Oklahoma History and Culture (accessed February 10, 2010)〕。20世紀初期には市の近くに石炭の露天掘り地が幾つかあったので、石炭産業も重要な役割を果たした。市の新聞である「ブロークンアロー・レッジャー」が市設立の数年後には発刊された。1904年には最初の学校が設立された〔。20世紀前半はそれほどの成長をみることなく、商業の中心はメインストリートに沿ってあった。市内の教会の大半もメインストリートかその近くにあった。

1960年代、ブロークンアローは小さな町から郊外都市への成長を始めた。この頃ブロークンアロー・イクスプレスウェイ(州道51号線)が建設され、タルサ中心街とを結んだことで、市の成長が加速された。人口は1970年の11.000人強から1990年の5万人を超えるまでに脹れ上がり、2000年には74,000人以上になった。この期間にベッドタウン以上のものになってきた。近年市の指導者はさらなる経済開発を推し進め、ショッピングやドライブで他の町に行くよりも市の中で済ますように奨励している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブロークンアロー (オクラホマ州)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.